農と向き合うことでの喜びや苦難を音楽とか絵に変えて
生きている奥南のみなさんの生活。
主催者の自治会長でもある奥谷さんが
「吉田の人が真ん中にあるフェスにしたい。
だから、都会からアーティストに来てもらうというより
自分たちが歌ったり演奏したりがメインのフェスがいいな。
こじんまりやれたらいいかなあ。」
と、このフェスを計画するとき話していたのが印象的で。
二年前、ラジオで遠藤ミチロウさんとお話させてもらったとき、
「大きなお祭りでなく、
小さな盆踊りを日本中でやったらいいと思う。
上手に踊れなくていいから、地域の人全員が主役になれる盆踊りを
小さな地区ごとにやれることが地域おこしの原点だと思います。
大きいのは時間もお金もかかる。
小さな規模で近所だけで集まってできるようなのを…」
と仰っていたのと繋がった。
私が小学生の頃までは、60軒ほどの集落で、一つの盆踊りが行われていた。
うちのおじいちゃんが櫓の上で和太鼓を叩き、
私も前の人の踊りを見よう見まねで踊って、
商店のおばちゃんが用意してくれたアイスを食べ、
花火をするだけの小さな小さな祭り。
屋台も、駐車場も、警備もない。
徒歩で集まれる人だけが集う盆踊りだ。
それがどんなに嬉しく、みんな生き生きしていたことか。
地域を作っているのは、そこに住む人なんだ。
音楽も社会もそうして育まれてきたのだろう。
自分たちのお祭り、今回のイベントは、まさにそれだと感じた。
出演者の7割が吉田の人たちで、私含め残り3割も、
繋がりがあったり思いを馳せ続けてくれた友人だった。
そう、生活と地続きの表現、お祭り。
思うと、作物を作るということ自体が創造で、表現なのですね。
作り手によって、味は全然変わってくる。
もちろん産地でも違うけれど、
作り手によって変わる方が大きいのではないだろうか。
修正のきかない、年に一回の作品だね。
同時に自然の中にすっぽりと入って
みかんの木々や海に囲まれたとき、
自分がこの大地に作られた産物なのだと気付かされる。
畑の真ん中で行われた、みかんフェスティバル。
空と海と山々に囲まれて、この場所にゆかりのある人の
産物を聞き、味わい、また育てる。
予期しなかった人がこの場所と新たに結ばれる。
何かが少しづつ変わり始めるなと感じた。