二人の6年 私の6年 思いつくままに

夏の終わりに、リーダーから報告があって
チャットモンチーが解散の方向であると知った。
ここまでよくチャットモンチーを守ってきてくれたなあと、
感謝と尊敬の思いしか湧き上がらなかった。

私が脱退してからの二人の実験的な音楽制作は6年も続いたのだ。
しかもどの曲も素晴らしく、いつの間にか好きな部分のメロディーを
エンドレスで口ずさんでおるようで、
旦那さんに「さっきからずっと同じところだよ」と言われるまで、
気づいてないやばめの私なのであった。

繰り返し聴いても飽きのこないメロディーと言葉のセンス、
ワイルドになった歌声、さらに機械をいじったりもするし、
あらゆるチャレンジを楽しげにやってのけた。
変身を遂げる度に、やっぱりこの人たちはロックの申し子だわと思って感心し続けた。

二人が新しい車に乗ってドライブを始めた頃、
私はフリーランスになり、のらりくらりと文章や歌詞を書きはじめた。
自由を手に入れ、いろんな場所を旅し、コーヒー屋で3時間ぼけーっとし、
家にこもって本を読み、好きな時間に眠った。
依頼がきたお仕事をしながら、どこにも出る予定のない詩を書き溜める生活は
中学生の頃に戻ったような感じだ。

二人と同じく6年間、一人で文章と格闘しながら思ったのは、
一番難しいのは、感じることでも、作ることでもなく
「世の中に出す」ということだった。
過保護に育ててきた作品にピリオドを打ち「世の中」という荒波の中に放り投げる。
誰に何と言われようとこれが格好いいんだと自分の感覚を信じていても
やっぱり怖さが付きまとう。
新しいことを始めるときはいつも怖さがワクワクの邪魔をする。
失敗も成功もそれは他人が決めることだ。
自分にとっては全部成功だと気持ちではわかっていても、
思いが強ければ強いほど、不安になってくる。
二人の中にもそういう感情が0ではなかったんじゃないかと思う。
それでも、甘えることも言い訳することもせずに、
新しい作品を堂々と世に出し続けた二人を、私は真のロックンローラーだと思う。

えっちゃんはお母さんになって、
あっこちゃんはいろんな方面で活躍をしはじめて、
視点も感じることも変わってきただろう。
えっちゃんが、産休後、
「チャットのかつてのライブDVDを見て過去の自分から学んだ」
というようなことを橋本絵莉子波多野裕文の『季節のお便りVol,1』で書いていた。
まじめなえっちゃんらしい行動だけれど、だからこそ心配でもあり
チャットモンチーを完結させることは、二人を解き放つことで、
祝うべきことなんだと思った。

カレーを食べた後おやつを食べて、
こうして思いつくままに好き放題のエッセイを綴っている間も、
二人は、最後のアルバムリリースに向け励んでいるに違いない。
皆に平等に時は過ぎていく。

最近のチャットモンチーの楽曲のクオリティーの高さといったら!!
「まままままじょりてぃーっ」て離れんのよ。
あの曲はAメロBメロも凄まじく、ほんまにほんまに天才。

だから、あと半年でさらにすごいことになるんやろなあって…
いちファンとしては、終わるのに楽しみという矛盾した心境なのです。