優しさは強さ

二週間前ついに最後の親知らずを抜いた。
左下の歯茎の下、横向きになって埋没しており
隣の奥歯の根っこをグイグイ押して、溶かしていたので
奥歯を守るためにも必要な手術だった。

五年前同じ状況だった右下を別の大学病院で抜歯したときは
麻酔があまりに痛くて貧血になり、おまけに治りが悪く物が全然食べられず
熱も続き・・・という悪夢。
このトラウマのせいで、拒否し続けてきたのだけれど、
やっと信頼できる病院が見つかり、ついに抜くことを決意したのだ。
実際は骨を削って歯を取り出すというオペなんだけどね・・・。

担当医は五〇代くらいのベテランドクターだった。
事前の説明もとても丁寧で
手術の手順の一部始終を話してくれた。
それはもう、ちょっと眠くなったほどに
懇切丁寧な説明だった。
心臓とか脳ではなく、歯だ。
前回の病院と比較するのも何だけれど、
麻痺が残っても仕方ないです的な承諾書に
サインして、あとは殆ど説明などなかったように思う。

今回は、顎の大きな神経に歯が絡まっており結構大変な手術になる、
時間もかかる、麻痺が残ることもあると説明があった。
でも、最善に最善を重ねてオペするから心配はいらないと言ってくれた。
大門未知子までいかなくとも
「大丈夫だから!」「一緒に頑張ろう」と言われたら、
頑張れるし、大丈夫って思えるんだなあ。
勇気が湧くってこういうことなんだ。
言葉の力はすごい。
子どもみたいだけど、そういう魔法にかかるのは悪いことじゃない。
もちろん、本当に自信があるからそう言えるんだと思うけれど。


怖がりで有名な私だが、安心しながら手術を受けられた。
恐怖はもちろんある。でも覚悟があるから大丈夫だった。
気持ちって自分でコントロールできるんだと知った。
こういうのを信頼っていうのかな。
手術が終わったあとは、隣の部屋のベッドで幹部を冷やしながら
しばらく寝て、落ち着いてから帰ることに。


最後に先生に止血状況を見てもらい
「ありがとうございました」とお礼を言ったら
「ありがとうもいりませんから、とにかく喋らないでくださいね」と言われた。
なかなかの名言だと思った。
傷口が開くといけないから2日は絶対に喋らないようにとのことだった。
思わず「はい」
と返事してしまったら、
「はいもいらないです。今日はお礼も何も言わなくていい」
と言われ、ちょっと格好良すぎて笑いそうになった。
真面目に、真摯に私の歯のことを考えてくれているんだと思った。
もう一度言うが、心臓ではない、脳ではない。歯だ。
たかが歯でこんな怖がって。子どもじゃあるまいし。
歯医者さんに行く度、いつもそう思われているような気がしていた。
怖さも苦しさも、対他人ではない。
対自分でしか測れないことを、理解してくれている先生は
どのくらいいただろうか。
ましてやもう何百回とオペしてきた先生なら
なおさらのこと、患者の気持ちと離れていくことは仕方のないこと
かもしれない。
でも、恥ずかしくなるくらいに、
真剣に一本の親知らずに向かい合ってくれた先生がいたことを
患者さんは一生、忘れないです。

受付で薬の説明を受けても、「お大事に」と言われても、
一言も喋らずに帰った。
電話が鳴っても、宅配便がきても、決して喋らなかった。

数日は苦しんだけれど、
私の顎はみるみるうちに回復していった。
改めて、先生と看護師さんたちに感謝したい。