声と音


昨日「読書のフェス」に出演した。
 文字を実際に声に出して読むこと。
簡単だけれど日常的に意外とやらないことだ。

この一年くらい、私はいろんなところで
いわゆる詩の朗読をやってきたのだけれど

堂々と「読書のフェス」と銘打たれると・・・
9組が、それぞれステージで
おおよそ朗読に近いことをやるとなると、
もう一捻りしたいなあと思った。

悩んだ結果、最近よく朗読合唱をしている友人たちと
朗読オーケストラなるものを結成した。
なんだろうな。幼稚園のお遊戯会を思い出す。
手や足や振付も入れて、ぷってふいてしまいそうなくらい
大まじめに、10人で詩の朗読をした。

楽しい。声は人によって違うし、間のとり方でも、感じ方は変わる。
カラフルな朗読だった。
声を出すことを改めてステージに立って見せる。

トップバッターだった私は、やれやれ終わったぜーと、
着物も着替えて、ビールを飲み飲み、その後の出演者の
パフォーマンスを楽しむことに。

夕方になり、いよいよあと少しで終わる。
11時から来ていた私は、
なんかもう完全に遊びに来た人状態になっていた。

楽屋裏で、出番前の体操をしている高木正勝さんに声をかけられる。
そして急遽、私の朗読とセッションすることになった。
そうです、一緒にやりたかったです。一緒にやれたらなあ、なんてスタッフさんにだいぶ前に言っておりました。
しっかし、今っすか!ぴよぴよぴー。
「成功しても失敗しても何かを残せることの方が大切」という
高木さんの言葉に胸打たれ、よっしゃやろうと私は詩集を取りに
楽屋へ走る。

高木さんのステージが始まった。圧巻です。圧巻。
頭がぽわーっとしてきました。眠ってしまいそうに気持ちいいです。
ここにワタクシメが出て行って大丈夫でありましょうか。
遂に呼び込まれた。息が、止まっているるるー。
「息は吐かなきゃ吸えないんだよ」
という高木さんのまたもや、どっひゃーってなる
言葉を思い出して吐きましたとも。
そして吸って、落ち着いて。 

私の言葉とピアノの音があたったり、乗っかったり、
吸い込まれたりしながら、私の耳から入って体を熱くして
いった。カチコチだった体が軽くなる。

詩とのセッションが終わり、次は高木さんの
アルバムから「おむすひ」でセッション。
だんだん、言葉が私の口から出ては、形になって
飛んでいきます。
そして、ああラスト一行。終わったと思ったら、
「あーあうー」綺麗な声で高木さん歌い出した!
「一緒に歌おっか」
小さな声が後ろから。なななんですと?
ええ!歌えまへん。そんな急に歌えまへん。
私、聞かなかったふり。
高木さん、むっちゃ歌いよる。
再び、小声で
「一緒に歌って」
「わ、私も、ですか?」
心の声がマイク通ってしもた。どっと笑いが起こる。
えーい。歌ってまえー。
私も、
「あーうーえー」
体からでるままに声を出す。

なんと気持ちの良いこと。
声と声は、ハモりながら、揺れながら、
上野恩賜公園のステージから
パタパタと飛び立って、夕日の向こう側まで
行ってしまった。
私の体も完全に野外ステージの屋根を突き破って
パタパタと夕日の向こうまで行ってしまった。

ビールを飲んで、内からでる感情と感覚だけに任せて
ドラムを叩き、夜通し誰かとセッションした、
あの感じを、私は忘れてしまっていた。
歌うことを忘れていた。
生きていく中で、大声で笑うこと、泣くこと、
踊ること、歌うこと、手を叩くこと、そういう衝動的で
感情的で自分の中身をすっからかんにすることを
忘れていた。
考えつくされた本の中の完璧な詩を朗読することとは
全然違う感覚だ、これって。
セッションはもっとスリリングで、失敗だらけで
野性的で、完成されてなくて、だから楽しい。
「息は吐かなきゃ吸えないんだよ」
という意味がやっとわかった。

私は、新しい空を飛んだ
でもそれは新しい空じゃなかった
忘れていた空へもう一回行ったんやな。
本当に楽しかった。そして嬉しかった。

地球が生まれたときの、
命の芽が生まれる瞬間から音はある。
文字が生まれるもっともっと前から。
音は現象なのだ。
草がこすれて鳴ったり、木が折れたり、魚がはねたり
雨が降ったり、動物が鳴いたり、赤ちゃんが笑ったり。
そして言葉も歌も音なのだ。
体の中から出る音だったんだ。
色んな広がりが見えた。
詩の朗読も、ますます色んな事できそうやなあ。

ということで、今日の私は、腑抜け。
色んな人の声の文字を聞いて。
そして、喉じゃなくってお腹の中から出た
高木さんと自分の声になんかびっくりして、感動して、
幸福な腑抜けなのです。

写真は、高橋久美子朗読オーケストラのみんなと。