夏の夜は、なんかいいよな


本を読んで、
ジュースを飲んで、
夜風の中、
腹を立てることもなく、
 アスファルトで固められた、地面を歩く。
特に疑問を持たず、
花を見て綺麗だねって言って、
かき氷を食べておいしいねって言って、
近所の子犬をだっこしてかわいいねって 言って、

何にも考えずに、
美しいものだけをみて笑っていられたら
良かったなあと思う。

怒りを持たないで
美しい言葉だけ持って
死ねたら

それはある意味幸せだ。

年を重ねて、鈍感になっていくことは
 自分をうまく煙に巻くということなのかもしれない。
またの名を諦めとも言う。

自分自身をだましてでも、どうにかして
生きていくという力強さであり工夫でもある。
逆風全てを身に浴びていたら、とてもじゃないけど
耐えられないだろうから。
上手く、煙に巻くんだ、自分を。

だから、ときどき清らかなものに涙したりして。

ああでも、清らかそうなものこそ
清らかだけではないんだ。

いっぱいいっぱい知って、
知らされて、
それでも目をそらさずに、立ち向かうことは
針山を素足で登るようなもんだ。
心臓を鬼の手に預けているようなもんだ。

でも考えることをやめられないのは
どMだからか。人間のプライドか。

いや、やっぱり希望が好きだから。
そして考えてトライした結果ダメならば、納得もいくからだ。

だから考える。それしかないなあ。