本を読んで、 ジュースを飲んで、 夜風の中、 腹を立てることもなく、 アスファルトで固められた、地面を歩く。 特に疑問を持たず、 花を見て綺麗だねって言って、 かき氷を食べておいしいねって言って、 近所の子犬をだっこしてかわいいねって 言って、
何にも考えずに、 美しいものだけをみて笑っていられたら 良かったなあと思う。
怒りを持たないで 美しい言葉だけ持って 死ねたら
それはある意味幸せだ。
年を重ねて、鈍感になっていくことは 自分をうまく煙に巻くということなのかもしれない。 またの名を諦めとも言う。
自分自身をだましてでも、どうにかして 生きていくという力強さであり工夫でもある。 逆風全てを身に浴びていたら、とてもじゃないけど 耐えられないだろうから。 上手く、煙に巻くんだ、自分を。
だから、ときどき清らかなものに涙したりして。
ああでも、清らかそうなものこそ 清らかだけではないんだ。
いっぱいいっぱい知って、 知らされて、 それでも目をそらさずに、立ち向かうことは 針山を素足で登るようなもんだ。 心臓を鬼の手に預けているようなもんだ。
でも考えることをやめられないのは どMだからか。人間のプライドか。
いや、やっぱり希望が好きだから。 そして考えてトライした結果ダメならば、納得もいくからだ。
だから考える。それしかないなあ。
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