発表会と宝石の言葉


4月4日、さくらの花が満開の中
みなとみらいのBUKATSUDOで
詩作朗読部の作品発表会が開かれました。
生徒さんは全部で14名。
バレンタインデーの日に始まり、この日まで
全5回「詩」というものについて講義をし、自らと向き合って
作り、また、班で一緒に共同制作するという「詩」としては
なかなかハードルの高いこともやってもらいました。

発表会が終わり、ふと生徒たちと作った本を眺めていたら、
自分が詩と出会ったときの感動と不安のようなものを
思い出していました。
私は中学生という一番多感な時期に出会ったのですが、
一見穏やかで癒しのように見える詩作という活動は
かなり強暴なものだったと思います。
自分の扉をこじ開けてじっくり観察せねばならなかったからです。
みんな詩と向き合って、よくここまで素晴らしい「作品」を
作り上げたなと、私はやっと落ち着いて感動していました。
強暴なことをやらせて悪かったなという思いと
でも乗り越えたんだなということにも今気づいたのでした。
私が無我夢中すぎたんだね。

詩を作ることを目的にした「詩作朗読部」に集まる人
というのはわりかし繊細で、内面に抱えているダークさが
外に出にくい人が多かったのではないかとも考えました。
みんなとっても元気で明るくて、一見わかんないんだけど
言葉には隠せないよね・・・。出てる出てる 笑

私は顧問の先生として、スパルタ的に指導していきました。
蛇足だな、説明的だなと思ったところには
理由を書き、面白くないと指摘しました。
いろんなやり方があったと思いますが、
詩というものの本質を少しでも理解してほしかったからです。
言葉って誰でも紡げるんです。
指導者がいなくてもいくらでも作れるものなんです。

私は顧問として何を伝えるべきか。
笑って、褒めるだけの気持ちいい教室でいいのか。
この講座が始まる前に自問自答しました。
詩は、
「楽しい」というものではないのです。
美しいものを美しいと書き、悲しいことを悲しいと書く
それだけではなく、自分の奥底に眠る、
美しいのに悲しいものや、悲しいのに美しいものごとについて、
えぐって、えぐって、
一瞬のゾクッとする経験をしてほしかったのだと思います。

発表会を終えて、生徒たちの表情は初めて来た時と全然違って見えました。
一緒に遊んで楽しかったという顔じゃないね。
これは、卒業式の顔。
充実と、感動と、悔しさも入り混じった、本当にいい顔。
一生懸命向き合った人にしかできない顔。

私も彼らからいろんなことを学びました。
言葉は、その人にしか出せない宝石なんです。
伸びた爪を切るように、脈拍数がそれぞれ違うように
性格や、心の具合、体の具合によって同じテーマでも
出てくる言葉は全然違う。
いやあ、面白かったなあ!
本当に良い経験をさせてもらいました。
作品集は宝物になりそうです。ありがとう。

詩が、ますます好きになりました。
みんな元気で、また会おう!