ある休日のモンブラン


好きな写真家、Wolfgang Tillmansの写真展を見に六本木へ行った。
ちょっと風邪気味だったけど、楽しくて、新しい写真集買って、椿屋珈琲で休憩。
モンブランとコーヒーを頼んで待つ。
店内の7割をしめる奥様達のエネルギッシュさに頭がぼーっとして、
やっぱ風邪かな、などと思いながら、
そうか、土曜日だから街が3倍くらいの勢いで向かってくるのかと思い、
私は平日じゃないことを少し後悔して最後の栗にフォークをさす。
とにかく、女の人は元気だ。
少しも黙っていられないみたいだ。
人のこと言えないけど、でも、私昔より喋らなくなった気がする。
何でだろう。「人それぞれだしね」の代表みたいな日々を送っているから
共通の話題がなくなっていったのかな。


青山ブックセンターにふらっと入って、
こんな本の山の中で私はどうやって作家として生きていくんだ。
と、また悲観的になって。頭は絶好調にふらふらで、
だから最近は目的もなしに本屋に行くのが憂鬱なんだけど、
「人類が70才で子どもを産む時代が
もうすぐそこだ   150歳まで生きられる」
という帯の本に釘付けになってしまい、
立ち読みしていたら
その様子を一緒に来ていた友達に見られて
少し恥ずかしくなり、文芸棚に移動した。
いいやんね。。。
結局何も買わずに本屋を出て、
しかし、ここで帰るのもしゃくだなー。と、
次はさわひらきさんの展覧会に行く。
とても行きたかった展覧会。
なのに喉も痛い。
でも足はオペラシティーに向かう。

すごくすごく面白かった。
そのまま帰らなくて良かった。
当たり前だが、自分も良い物を残したいなと
素直に思った。

今日は家にいる。
家ってすごい落ち着く。
知らぬ間に風邪は治った。
ぷはー。自分の中に埋もれることは
とても心地の良いことだ。

どこへも行かず、
自分の作った自分の世界だけに
溶け、守られ、拘束され。
「家と砂漠」を作ったときのことを思い出す。
気持ちは消えていくけど、言葉は残り
だから切なく、情けなく、大切だ。
自分が変わっていくことに、記した過去の言葉から気づかされるが、
それでも変わっていく。
言葉も後を追うように変わっていく。

この詩を書いた頃の私は
今よりもっと
この閉ざされた平穏に怯えていたのだろうなあ。

私の家は箱
私の家は図書館
私の家は砂漠
私の家は宇宙船

私のベッドは よく水を吸い
私の服は もういらない

私の家は 刑務所
私の家は 洞窟
私の家は 記録
私の家は お守り

 

と言いつつ
2月3月も色んなところで
イベントに出る。
ほっ。

モンブランは外で食べるのが
やっぱりおいしいな。