俳句を語る その1

最近は、文章という形体の中では最も短く、言葉が凝縮されている
俳句や、短歌、川柳などに惹かれます。

今年の春、小豆島の尾崎放哉記念館に行ってきました。
尾崎放哉は、最も好きな俳人です。
元々、鳥取県で生まれたのですが
死の8ヶ月前、小豆島に来て死の直前まで俳句を書き続けています。
その様子をメモ的に句で残しておりますが、
日記ですね、これ!
みたいな作品も多くて、面白い。
長い日記を読まされなくとも、
短い一文の中に、放哉の生活、心情をリアルに感じることができるのです。
ともすれば、どうでもよい他人の日常が、
まるで映画のワンシーンを見たかのように、
ロマンチックに、情感豊かに描かれています。
日本の庶民文学の極みであるなあとつくづく感じました。

分け入っても分け入っても青い山

という、種田山頭火の句を学校で習った人は多いでしょう。
五、七、五ちゃうやん。なんでもありかいな!
これが自由律俳句です。
私も、中学のとき習って
これを早く教えてくれよ。って思いました。
そして、放哉はまさに、自由律俳句のスーパースターなのです。

咳をしてもひとり

入れ物がない両手で受け取る

ぴったりしめた穴だらけの障子である

とんぼの尾をつまみそこねた

肉が痩せて来る太い骨である                (『放哉ー大空』より)


放哉記念館に初めて行ったのは大学生のときでした。
めちゃくちゃかっこいい。衝撃でした。
放哉の作品はとくにパンクやからね(生活もパンクだから)
とにかく、明治、大正時代に書かれたものに、ここまでびびったのは
宮沢賢治以来だったように思います。


そんなこんなで、今は、橋本夢道の句集を読んでおります。
何を隠そう、徳島の俳人なんですよ。


十万の下駄の歯音や阿波おどり


上の俳句、徳島県民なら誰しも知っているのではないでしょうか。


天国へ行くまで母は地獄の草かり続け

母の渦子の渦鳴門故郷の渦

妻よ五十年吾と面白かったと言いなさい            (『母郷 橋本夢道句集』より)


放哉の作品にも言えることなのですが
そこに、まるで書いた本人がいるような、
顔の表情までも、ありありと頭に浮かぶリアリティ。
そして、チャーミングさ、くすっと笑ってしまうユーモア感。
ユーモアの感じって、時を超えても共通だということも驚きでした。


しかし、長い日記です。
放哉なら、一文でぶった切るでしょうに。

今さらですが、文章を書くとは、体力のいることですね。
走り込みをせねば。

それではまた。

(続く)



久美子