時々、家に帰るとピアノを弾きます。
何ででしょう。
あんなに練習が嫌いだったのに
今になって、ふと触りたくなるのは。
自由に、適当に、赴くままに鳴らすと
ピアノがやっとわかるのです。
和音の一つ一つに、響きの発見があるのです。
あの頃弾いていた、ソナタのバイエルを開きたくなる。
開きませんけどね。
きっと、自由の中にしか私は楽しさを見出せないと思うので。
努力が嫌いとは、困ったもんです。
今日は、そんな私に音楽の面白さを教えてくれた
ピアノの先生の家に遊びに行ってきました。
高校生の私にボンジョビとか、メタリカとか、ドッケンとかU2とか、
ドロックなアルバムを次から次へと貸してきた張本人です。
それは、ある日のレッスン後
「久美子ちゃんはピアノ向いてないね」
と。
うぉい!!!今更かよ!!
まあ、わかってたけど。
「ギター教えてあげるからギター買いなよ」
ということで、ギターに転向。
しかし、またもや、ばっさりと
「久美子ちゃん、ギターも向いてないね。大学行ったら、ドラムやりなね」
と。
うぉい!!!またかよ!!
そして、私はピアノ教室を辞めたのでした。
すごい話ですよ。本当に。
まあ、そのお陰で、大学に入って軽音楽部に入り
ドラムを始めることになったのですが。
先生は相変わらず、ロックでした。
出してくれたお菓子について語りました。
そして、足ツボマッサージがいかに健康的か語りました。
ただ、最近は激しい音楽よりも、より自分に寄り添ってくれるものに
グッときているんだと言ってました。
そんな風に、今を否定せず胸を張っているところもロックでした。
近所のおばさん達と、合う話題があるんだろうかと心配するくらい。
こんな風に、真のロックンローラーは意外と潜んでいるものなのかもしれません。
例えば、一杯100円のうどんを打ち続けている山奥のおやじのように。
例えば、毎日旗を振り続ける、工事現場のマネキンのように。
例えば、クリスマスイブに一人で大掃除をするおばあさんのように。
ピアノ教室の隅に置かれた、エレキギターと、アンプ。
よく言ってました。
「私ね、本当はピアノの先生になんかなりたくなかったのよ。
ロックンローラーになりたかったのよ。もうちょっと遅く生まれてたらね」
そうか、でもね、ピアノの先生になったからこそロックなんじゃないかな。
ピアノ教室が終わった後に、ギュイーンと鳴らすギターこそが、
魂の叫びだったんじゃないかなって。
それで私はとても良かった気がするのですよ。
笑っちゃうような人々が、私の田舎には、いっぱいいました。
東京に出てみて、改めて自分の育ったところは変な町だったなーと。
東京より、変わった人が多かったなーと、思うのです。
いつか、この町を本にしてみたら・・・
帰れなくなるかね。
ぷぷぷ。
久美子
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