走りつつ、


新宿駅を歩く。
出版社の営業さんとの待ち合わせ場所へ急いでいた。
『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』の発売翌日。
書店さんに挨拶まわりに行く予定だった。

西口の交差点を渡ると、歩道橋の下でペルー人がフォルクローレを
演奏していた。彼の横にはでっかいスピーカーが置かれ、爆音で
「コンドルは飛んでいく」が流れている。何だか違和感だった。
流れる人々を前に、彼一人が止まっている。

私は立ち止まって、彼を見た。

焼けた頬と、パズルみたいに織りなす原色のポンチョ。
口には民族楽器のフォルクローレ。

本当にペルーからやってきたのだろうか。
スピーカーからCDの音を出しているだけじゃないのかな。
本当にあのフォルクローレを吹いているのかな。
しばらく口元をまじまじと見るが、どこから音が出ているかは
つきとめられなかった。我に返って時計に目をやる。
やばい。あと3分。私は走りだす。

左のショーウィンドウに走る私が映る。
出ては踏ん張って、私を前へ前へと送り出す足。
新宿のペルー人が吹くフォルクローレは相変わらず爆音でなかなか消えない。

まだまだ寒気が漂う新宿で、私は遠いあの春を思い出していた。
7年前、東京に出てきたばかりのころ、深夜の渋谷駅で
バイオリンやアコーディオンを演奏するおじさん。
珍しくて、立ち止まって見て、少しだけ足取り軽やかに最終電車に乗った。

東京に引越してきたのも確か二月の末のこんな天気はいいのに寒い日だった。
未だに、新宿の東南口への行き方に迷うし、
ビッグカメラとヨドバシカメラの場所がよくわからない。

それでも、あの頃よりは確実に見えているものは多いだろう。
私の中に10個の望遠鏡があるとしたら、今、7つか8つで見て、
あとの2つか3つは休ませながら、
それでも前よりも上手に色々なものがバランスよく見えている気がする。
その温度感が心地よい。

7年か。
東京は飽きない街だな。
いや、どこにいてもそうかもしれない。
私が息をしていると、街も息をする。
街が私を追いかけてくるので、
飽きもせず、私はこの街を走る。
毎日、毎日、追いかけあいっこをしているのだと思う。