こないだ、ピアノの先生のことを書いたが、
最近よく、先生のことを思い出す。
なぜかというと、
ヒトノユメ展に、かつての恩師が来てくれたからだ。
徳島展には、大学時代の近代文学ゼミのT先生が
愛媛展には、高校時代、みごとに3年間担任だったY先生が(ピアノの先生も来てくれたよ)
どちらも、会場に私がおらず、会えなかったことが本当に残念だった。
何年ぶりだろうなあ。卒業してから会ってないから、7年とか、10年とかか。
大学時代、近代文学のゼミに入ることを夢見ていた私に、
T先生は何度も尋ねた。
「高橋さん、本当にこのゼミに入るの?」
優秀な先輩ばかり輩出しているゼミだ。少々心配だったのだろう。
人を外見だけで判断しないように!!とガッツポーズで、やる気を見せた。
そうして念願のゼミに入った私が、一番覚えている先生の言葉は。
「高橋さんは本当に何にもしらないね」
だった。
思った以上に、私は出来が悪かった。
文学うんぬんの前に、
先生にお茶を入れると、なみなみと入れ過ぎて
「これじゃあ熱くて持てません。嫁に行けませんよ」
と一括されるところから始まり、2年間、サザエさんと波平さん状態だった。
そんな私が褒められたことと言えば、卒業式の和服が似合うということと、
詩のボクシング大会にこっそり出場し、大敗したことを告げたときのこと。
先輩達の前で
「君たち、この子のバイタリティーを見たまえ。負け続けても果敢にチャレンジする。
これは君たちも見習うべきだなあ。ま、負けたけどなあ。ははは。」
という、この二つ・・・。
しかし、20歳過ぎて、よくもまあ、あれだけ毎日毎日叱られたもんだ。
もちろん、手のかかる子ほどかわいい。というやつなんだけどね。
高校時代担任だったY先生はというと、
「偏差値を上げなさい。そろそろ部活をやめて受験勉強に専念しなさい」
っていう言葉しか覚えてないなあ。
堪り兼ねて、日直のとき日誌の伝達欄に
「先生は、何故教師になろうと思ったのですか?」
と書いた。
そして教師志望だった私は、次の日の伝達欄に
「私は、生徒と同じ目線でいられる教師になりたいです」
と、ダブルパンチをお見舞いした・・・つもりだった。
返ってきた言葉は
「高橋さん、生徒と同じ目線では教師にはなれませんよ」
ガビーンである。
3日間続く日直当番の最終日は何て書いたか忘れたけど、
とにかく私は煮え切らなかった。
そして3年生の夏、吹奏楽部最後の定期演奏会に
Y先生の後ろ姿を発見した。来てくれていたのだ。
何とも、恥ずかしい気分になったのを覚えている。
そして、展覧会にも来てくれていたのだった。
先生には、色んなタイプがいることを今さらながら感じる。
今回、私のことなど真っ先に忘れているだろうと思われた、
2人の先生の展覧会電撃訪問事件は
暗闇でみぞおちパンチ級だった。
そして、やっと分かり合えたような気さえしたのだった。
というわけで、
拝啓センコー様
また、いつか呑みましょうよ。
久美子
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