永遠に灯る火


あっという間に11月。今年も残すところ一ヶ月半やな。

などと言いたくないのです。
が、どうやらスーパーカーに乗っていたように
今年一年はあまりに 目まぐるしかった。ま、いつものことか。

去年の今頃は初のエッセイ集「思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、」の執筆に追われて
年末らしい年末はなかったなと思い出す。ま、いつものことか!

私はというと、展覧会の撤収も無事終了し、今は愛媛で一段落。
母とさつま芋を焼いて食べたり、たわわに実ったみかんをひたすらもいでいる。
2ヶ月長野って、今後も死ぬまでないだろうなあ。
長野と愛媛、あまりの違いに、インド旅行から帰ってきた友人のようなリアクション。
そして甥っ子と恐竜ごっこをしまくって「がおー、がおー」と吠えまくる毎日。
やべえ、、、楽しい。
近所の人がさぞかし気味悪がっているだろう。

ここにいると、ヒトノユメ展が、まるで幻だったかのように思えるのだけれど、
私の地球の周りをくるりくるりと回り続ける衛星のようで、
やっぱり、ちゃんといつまでも残っていく。ついてくる。

いろんな人に出会ったなあ。
面白くて変な人っていっぱいいるんだなあ。
 上田で超薄型のスピーカーを開発し続けているおじいさんや、
会場の繭蔵で昔、女工として働いていたと言うおばあさん。
毎日毎日、仕事終わりに日課のように展覧会を見に来てくれたおにいさん。
ボランティアさん達と太郎山に登ったとき、コンロや出汁をリュックに忍ばせ、
山頂でうどんを作ってくれた達人。
そして、山頂でミラー信号を展示会場に送ろうって言い出した子がいて、
「まさか、そんなんできっこないよ」といいながら鏡出して、
白井さんに電話かけながら会場の方にチカチカ信号送ると、
「見える!見える!」と白井さん!太陽ってすごい。いや、鏡もすごいけど。
私達は大喜びで、山頂で「太郎山やーい!」の詩を朗読した。
毎日、ヒトノユメの旗持って駅前でビラ配りしてくれる子。 
毎日、薄暗いバックヤードで片付けしてくれる子。
毎日、仕事前に朝ご飯作ってから出てくれる白井さん母。
毎日、私達の心配してくれる人達。

自分の見えてないところに、いろんないろんな人がいて、その人達が
自分をここで立たせてくれている事実を、毎日感じながら生活した2ヶ月でした。
うわあ、人ってまだまだすげえなあ!って本気でそう思った。
ボランティアの真田山賊団はみんなどこか欠けていて、けどそれを補うように
他のメンバーがいる。全員いて一個の完成品というのをみごとに見せてくれ、
学級担任ってこんな感じだろうか・・・などと思った。
そんなところまで気づかせてくれるほどに二ヶ月って長かったんだな。
いや、二ヶ月なんてボンヤリしてたら風のように通り過ぎるんだから、
やっぱり、意識しながら目標を掲げながら生きると、こんなに見えてくるものが
違うんだな。消耗も激しいが、それらは充実と共にあるから毎日良く眠れた。

 

長野での2ヶ月は、私に消えない火を灯してくれたのでした。
素晴らしい展覧会、ありがとう。
私達が作ったんだけれども、
でも、私はプレゼントしてもらえたように思います。
夢を見せてもらえたのは私達の方だったんだと思います。

応援してくれたみなさん、本当にありがとう。

また何かの形でヒトノユメ展が私達の中をかき回してくれる日が来ることを願いながら、
今は砂漠に一人づつ飛び出してそれぞれの花を咲かせられるよう
歩いていこうと思います。

おやすみなさい。