おおかみこどもの雨と雪

ここ一ヶ月くらい寝ても覚めても体の真ん中で渦巻く映像は
「おおかみこどもの雨と雪」だった。
見てない人のためにあらすじは書かないけれど、
ざっくり言うと、母と子ども、さらにそれをとりまく学校、ご近所などを描いたストーリーである。

細田守監督の作品が好きで、楽しみに観に行った映画だけれども
殆ど前情報なしでいったもので、えらいことになった。
ショベルカーで体ごと持ち上げられるような 強さと、
気づかぬふりをし続けていた曇り空に豪雨をお見舞いされたような、ずぶぬれ感。
しばらく立てなかった。

一緒に見に行っていた友人に何と感想を言ったらよいかわからず
ただただ黙って新宿の街を歩いた。
家に帰っても、じわじわと涙が出てくる。
なんだろうなんだろう。これってどういう涙なんだろう。
まとわりついて、考えて、そうすればそうするほど
しくしくと悲しく 切なく、どうしようもない涙の連鎖。
感動とか、そういうのからくる一時的なものの範囲を超えている。
もっと根源的な何かを揺さぶられたショックのようなもの。

多分、私がこの映画に観たものは
逃れられない「性(さが)」だった。

一人でしか辿れないたった一本の「性」

永遠である母と子の愛、それを超えてまでも行かなければならない宿命。
それに気づいた子どもと母の壮絶な描かれ方。

だって初めからわかっている。へその緒が切れた瞬間、母と子は人と人になる。
おおかみだろうと人間だろうと運命は自分だけしか持つことができないのだから。
強さも弱さも汚さもひっくるめて、たった一人で自分の道を進むしかない。
だけど、その事実があまりにも残酷で、でも生きることの全てのようで
映画の中の母が懸命で笑顔であればあるほど苦しく悲しかった。

これは生命の大きな大きな流れの中のほんの小さな一つの物語なんだと思った。
100人の母がいれば100個の物語がある。
「子どもに私が育てられている」
お母さんになった人はみんな言うけれど
本当にそうなんだなと思う。
もう一人の「人間」の人生を一緒に歩いている。
いつか飛び立つことを知りながらも。

なんて母は尊く気高く強いんだろうな。

きっと花のように自分が美しいことを知らないのだろう。
だからこそ美しいのだろうと思う。

信じてみたいと思った。
この世界を、家族を、自分の力を。

生きるということを賛美し
「がんばれ、がんばれ」と応援してくれている
まさに母そのもののような映画だった。