高橋久美子(高橋久美子)

6時に目が覚めて、
ふとブログ書こうかなあと。
朝は肌寒くて、雨が降りそう。
ブログっていう響き、なんか懐かしいよね。

2021年はなぜだかリリースが続いている。
「いつか出そうね」の「いつか」や、連載をまとめるタイミングが
たまたま重なっただけなんだけど、
こういう勢いの年なんだろうと思っている。

1月に旅エッセイ「旅を栖とす」(角川書店)、
4月に初の小説集となる「ぐるり」(筑摩書房)、
来月は「ディアボーイ おとこのこたちへ」(主婦の友社)という翻訳絵本を、
秋にも多分一冊出る。生き急ぎすぎ。

そんなわけで、最近は、プロモーションで忙しかったんだけれど、
昨日、渋谷のライブハウスでえっちゃん(橋本絵莉子)と、やすお(北島康雄)と
トークイベントがあり、ちょっとだけドラムを叩いた。
みんなの前で叩くのはこなそんフェスぶりかな。
吹奏楽時代、一日練習を怠ったら3日後退すると言われていて、
音楽もスポーツもそうなんだと思うんだけれど、
上手いか下手かは別にして、今には今しか叩けない音があるんだなと
思った。あと、体に染み付いているんだな。
今すぐに詩を作ってみてと言われたらできないけど
スティック渡されて何か叩いてと言われたら、悩まずとも、ヘタなりに叩ける。
うーむ。これって文章で食べていっている今としては
逆であるべきなんだろうけどな。
康雄が「高橋久美子(作家・作詞家)」だけど、
久美子さんはほんとに何通りもの人生を歩いているから

「高橋久美子(高橋久美子)」ですよね

と言って。うまいこと言いよるわーと思った。

なかなか体に風が抜けることがない。
でも、昨日ドラム叩いたとき、体に確かに風が通り抜けて
鯉のぼりのように泳いだ。

音楽も、小説も、答え探しではなく、
自分が答えを作る。
書く言葉は残っていく。
音は、残らず消えていくもので、
だからこそ感覚として残るもので、
そういう風が時々必要だなと思った。

 

橋本絵莉子、という人はやっぱり努力家で、完璧主義で、
「その場の流れで演奏しようねー」と言ってたけど、
早々に自宅で歌った音源を送ってくれた。
私が練習しないのを見抜いている。さすがだ!
ロックでいるために、ちゃんとするのがえっちゃんだ。
いや、元々がロック体質なんだろうなあ。
それは、このごろよく考える、ライブハウスの独特の作法のようでもある。
ステージは神聖なものだから、きっとどんなラフなトークイベントであろうと、
準備を怠らない。それは明日の自分のためでもある。
二人を見ていて、タイプは全然違うけどすごくそれを感じた。

後半、あっこちゃんに電話を繋いだ。
配信されていると思うと、聞きたいことも聞けなくて、
案の定、上手く喋れなかったわけだけれど、
こういうときのあっこちゃんのどっしりした佇まいは昔から変わらない。

新しい詩を書きたい。