その2

絶対パジャマは着替えた方がいい

K : あ、一日の流れを知りたいなと思ってたんですよ。起きてからどういう生活をしているか。

R : あー。最近だと8時か9時くらいに起きて、しばらく布団の中で、“起きよっかなー。起きないかなー。”てやってて、本が読めそうだったらその時間に本を読んで、起き上がったらパンを食べて。

K : パンなんですね。パン派。

R : はい。で、メールとかをやって。

K : 健康的!むちゃくちゃ健康的!

R : そうですね。前の日に飲んでても必ず午前中には起きますね。

K : その流れにいきつくまでに時間はかかりませんでしたか?

R : 家にテレビがなくなってからは結構早かったですね。
元々テレビっ子だったんですけどね。今、見たいのはネットでどうにか。

K : はー、テレビかー。私、最近一人で作家活動をするようになったから・・・。

R : そっか、そっか。

K : やから、まだ流れがつかめてなくて。前と同じ生活やから、夜中まで起きてて、わけもわかず3時、4時ま
でふらふらしてて、で、そっから11時くらいに目覚めて、めっちゃボーっとして、ご飯食べたりしてたら昼の1
時くらいになって、そろそろ書こうかなーって思うけど、何か天気いいから遊びに行きたいなーってなって。

R : うんうんうんうん。

K : で、結局文章書き始めるのが夕方の6時とか。

R : えー!

K : だから、そこを聞きたい。なんか、長い時間集中して書けないんです。

R : あー、でもそれは私もわかる。

K : 2時間は書くんです一生懸命。したら、もう、ぷはーってなって。

R : でも、2時間は限界じゃないかな。集中できる時間は短いから、2時間をいっぱいやればいいじゃなかな。

K : そうだと・・・思います。

R : ていうか、2時間だけでも毎日継続できたら、すごいこと。毎日って意外と難しいじゃんね。

K : そうなんですよー。

R : 事務的な作業もあるし、やっぱ、人にも会わなきゃならないじゃないですか。どんなに一人仕事だとして
も。

K : うん。でも、人に会ったりとか外に出て見ることって大事やなって思うんですよね。一日ずっと家にいて書いたこともあるんですけど、逆に効率が悪いというか。何も面白い言葉がでてこなかったり。だから外に出て色んな人観察した方が意外といいね。

R : だから、仕事の時間を一回決めちゃえば、それが長くても短くてもいいと思う。体が覚えちゃえば。

K : あー、やっぱ覚えなあかんね。

R : じゃないと体がかわいそう。小説書く人と違って、私の場合はフィジカルというか、かなり体を動かす仕事
だから、まだ切り替えがし易いと思うんです。

K : あー、黙々と作業ってなっちゃえばね。デザインしたり考えるときの脳とまた違うんでしょうね。

R : デザインとか、案出しのときが一番緊張する。

K : あー、やっぱり。

R : 私の場合は、作品やワークショップのネタ探しやプレゼンをしている時がいちばん緊張してる。過去にやったことを、またやってもいいよって言われることもあるんですけどね。でもやっぱり少しでも新しいこと、やったことないことやりたいなって思う。そういう欲を出してるわりには悩んじゃたりします。さらに時間や予算もタイトで。でも “いや、絶対おもしろいことはあるはずだ!” ってもんもんとして、そういうときやっぱり散歩に出ちゃいます。

K : 外に出たらリフレッシュしますよ。パジャマ着てたらダメですね。

R : 絶対パジャマは着替えた方がいい。お布団ならしまった方がいい。

K : ベッドなんです。

R : じゃ大丈夫ですね。

K : 大丈夫じゃないです。

R : 寝易い!

K : そうなんですよー!疲れたらごろーんってなって、うーんってなってー。怠け者なんですよね、私。

R : みんなそうですよ。私もすぐ寝ちゃうんですけど、眠くてしょうがないときは床で寝てるんです。フローリングの。床だと30分で起きるんです。寝心地悪いから。

K : やばい。

R : 30分寝るってすごいいいんで。

K : 切り替えができますからね。はー、自分に厳しくないと一人ではやっていけないってことですよねー。

R : 最初からそんなにチカラを入れなくても大丈夫じゃないかな。私も今まで “しまった!やっちった!” ってことが結構あった。このパターンヤバいやつだ、みたいな。それを経てのマイペースだから。さっきの案出しのこともそうですけど、甘えようと思ったら甘えられるんです。でも結果が面白いかどうかっていうのは、もうその辺りから決まってるんですよね。自分の気合いというか、ないものも絞り出すぞくらいで見つけたものって、そのときは辛くてもいずれ、すぅーっと進める瞬間があると思うんです。自分と、周りの関係者やスタッフの間に、着実に何かが熟成されてくというか。なので実際の現場に入る頃には、すごくリラックスできちゃったりして。逆に最初をいい加減にやった場合って、相手にも伝わっちゃって、それで自分もそれ以上乗り切れなくなって。

K : 自分を奮い立たせることができなくなっちゃうんでしょうね。わかっちゃってるからね。そうなるときついですね。

R : そう、いい加減なのがわかっちゃってるから。たとえ記録写真がうまく撮れて、見た目にはいい加減さがバレなかったとしても、自分にはバレちゃってる。いい加減で、やっつけでやったやつだーって。

K : それが慣れてきちゃった場合が怖いってことですよね。

R : そうそうそうそう、そういうときにギョっとするんですけど。

K : ね。そういう状況に自分自身が傷ついていくっていうことの方が大事なんでしょうね。

R : そうそうそうそう。

K : えっと、前りささんのHPで、作品を色んな人の前に出したいっていう思いと、自分の元だけに置いておきたいって思う二つの自分がいるっていうのを読んで、すごいわかるって思ったんですけれど。

R : 人に見せたり、投げかけたりすることって、誤解されることだと思うんです。不特定多数の人に見せていこうとすれば、いろんな事を言われて、実際、傷ついてしまうこともあります。もう昔ほどないけど。(笑)
でも出さなければ始まらなかったことだから、それでいいじゃんって思える自分がいて、そう思えない落ち込んじゃう自分もいて。まぁ、結局100%わかる人なんているわけないんだから忘れよう!というのがいつものパターン。

K : そうですね。実際、自分が人の作品を見てるときだって、100%理解できたなんて思いませんものね。
私も、作品を人前に出すときは腹をくくりますね。

R : 文字を扱う表現のほうが、誤解と共感のふり幅が広いと思うんだけど、そのへんはどうですか。

K : そうなんですよね。特に詩は、読む人の心の状況によって感じ方って絶対に違うと思いますよね。その人に合ったように解釈するじゃないですかみんな。私と全く同じ状況で読む人はいませんものね。やから、そういう部分では諦め・・・というか、言葉の運命として受け止めてますけどね。

R : ふんふん。

K : でも展覧会の場合はまた全然違ってて、白井さんって画家さんと建築家チームで今年の夏、展覧会をやったんですけど、また予期しないところでワーってなったりね。そこなんや!みんなが反応するとこってって思ったりしたんですよね。例えば、詩の内容とかよりも、全体の建物の面白さだったり、あ、もちろんそこも嬉しいんですよ。でも、やっぱり目に見えてわかりやすい面白さで反応してくれとることが多いんだって思ったり。
人が求めてるものと自分がやりたいことのギャップはどうしても出ますよね。どうですか?お客さんと接することが増えたら、お客さんにもっと寄り添ったものを作りたいという風な気持ちになったりすることもありますか?

R : そうですねー。そういう気持ちが沸き起こることはありますけど、それをそのままやろうとは思わないですね。自分がやりたいものって何だろうなって考えたときに、さっきの誤解の話じゃないですけど、誤解をいっぱい産める作品っていいなって。私が作品を見る側だったら、その作家さんに私の感想を受け入れてもらいたい。それでまた次の日にその作品を見たらまた違って見えて、「あれ昨日はもっとこう思ってたけど、今日は違うかもしれない」って思わせてくれるような作品がいいです。「昨日いいと思ったけど、やっぱやだ」って思うというか。だから、見る人の欲望、何が見たいかみたいなものも波みたいなものだから、それを考えるとやっぱり合わせて作っちゃいけないなって思うんです。

K : なるほどな。それをさらに超える物を作らんかったらっていうことですよね。その向こう側をね。いい意味
で裏切って、さらに新しい世界につれていってあげれるものをってことですね。

R : うん、そう。